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大阪地方裁判所 平成6年(行ウ)33号 判決

原告

斎藤茂幸

右訴訟代理人弁護士

高橋典明

井奥圭介

飯高輝

被告

地方公務員災害補償基金

大阪府支部長

山田勇

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

一  被告が原告に対して昭和六三年六月一日付けでした公務外認定処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、昭和六一年二月二四日に発症した脳梗塞(以下「本件疾病」という。)について、地方公務員災害補償法に基づき公務災害認定を請求したところ、被告が、右疾病は公務により生じたものではないとして公務外認定処分をしたため、右疾病は公務により生じたことが明らかであり、右処分は違法であると主張して、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和三六年五月一日に大阪府吹田市消防本部に採用され、昭和四二年六月一日に消防士長、昭和四九年一〇月一日に係長・消防司令補、昭和五五年四月一日に吹田市西消防署副署長・消防司令となり、本件疾病発症当時は吹田市西消防署(以下「西署」という。)副署長であった。

2  原告は、昭和六一年二月二四日、吹田市垂水町三丁目二二番一号にある医療法人大和ファミリー会大和病院(以下「大和病院」という。)で受診し、「脳梗塞(右麻痺)」(本件疾病)と診断されて入院治療を受け、同年三月二六日、枚方市星丘四丁目八番一号にある星ケ丘厚生年金病院で受診し、「脳梗塞後遺症」と診断された。

3  原告は、本件疾病が公務に起因して発症したものであるとして、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき、公務災害の認定を請求したところ、被告は、昭和六三年六月一日付けで、本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨決定(以下「本件処分」という。)した。

このため、原告は、地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会に対し、本件処分について審査請求をしたが、同審査会は、平成四年一二月一日付けで、右請求を棄却する旨の決定をした。

そこで、原告は、地方公務員災害補償基金審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成五年一二月八日付けで、右請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書は原告に送達された(右送達日は、弁論の全趣旨により認める。)。

二  主たる争点

1  本件疾病の公務遂行性の存否(原告の主張)

原告は、本件疾病発症当日、西署の定例幹部会議の席上から、魚井達夫署長(以下「魚井署長」という。)の命令により、自殺を図った部下である甲野太郎士長(以下「甲野」という。)の救命のため、甲野を病院へ搬送し、帰署途中に本件疾病を発症するに至ったものであり、本件疾病発症は公務執行中のものであることは明らかである。

(被告の主張)

(一) 公務遂行性とは、職員が労働関係の下で任命権者に従属する状態にあること、すなわち関係法令等の規定に基づき任命権者の支配下にあることをいうところ、このような公務遂行性の認定基準は「公務上の災害に関する認定基準について」(昭和四八年一一月二六日地基補第五三九号)に示されている。右認定基準によると、公務遂行性の判断基準は公務上の負傷の認定の項目に示されているが、原告主張の災害性の原因に基づく疾病の認定に関しても妥当するものである。

右の認定基準を本件のような災害性の原因に基づく疾病の場合にあてはめると、①通常又は臨時に割り当てられた職務遂行中、②職務の遂行に通常伴うと認められる合理的行為、③勤務時間の始め又は終わりにおいて職務の遂行に必要な準備行為又は後始末を行っている場合、④勤務場所において負傷し、又は疾病にかかった職員を救助する行為を行っている場合に、「異常な出来事」に遭遇した場合で、当該「異常な出来事」が天災地変や偶発的事故でないような場合であることが必要である。

(二) これを本件に当てはめると、原告の主張では、発症前の救助行動自体が原告の職務や日常業務とは異質のもので、原告は、甲野とは通常の同僚ないし上司部下という関係を超えて私的にも面倒をみてきたという親密な関係にあり、甲野からの電話により自殺を直感して自らが甲野の自宅に確認に行くことを署長に申し入れ、救助活動をしたというものであり、これらによれば、原告の救助行動自体が甲野との私的関係を主とするものであったことは明らかであり、私的行為として前記の公務遂行性の要件を欠くものというべきである。

また、本件救助行動が上司である署長の指示・命令によるものであったとしても、署長の指示・命令が内規等に基づくものではなく、本来的な私的行為が上司の指示や命令によって公務遂行性を有するに至ることにはならないのである。

(三) 以上によれば、原告の行為は公務遂行性の要件を欠くものというべきである。

2  本件疾病の公務起因性の存否(原告の主張)

本件疾病は、以下のような日常の職務とは質的に異なる強度の精神的身体的負荷のもとに行われた職務により発症したものであり、公務に起因するものである。

(一) 強度の精神的負荷

甲野の救命活動における原告の精神的緊張は、人の生死にかかわるものであった。しかも、甲野は、原告がこれまで公私にわたり親身になって世話を続けてきた部下であり、その家族もよく知っている間柄である。したがって、その生死は原告にとって、特別に重い意味を有していた。

次に、原告の救命活動に対して、甲野は、自宅から病院に行くのを嫌がり、また、病院へ到着してからも車椅子に乗ろうとせずにICU室への搬送を手こずらせるなど終始抵抗を示しており、そのことが原告の精神的緊張を一層増幅させていった。

さらに、甲野の症状は、ICU室に搬送されるなど原告の予想を超えて重篤なもので、そのことが原告を驚愕させた。

原告は、このような精神的緊張状態を、甲野から電話を受けた午前一〇時五分ころから帰署の途につく午後零時三〇分ころまでの二時間半もの間維持することを余儀なくされたのである。

(二) 強度の身体的負荷

原告は、当日全力疾走、駆け足、甲野を抱える等して走った距離を合わせると一二〇〇メートル以上にもなるのであり、しかも、これらの行動は、甲野の生命を救うため、一刻を争って緊急になされねばならないものであった。

そして、これらの行動は、約二時間半もの間に続けて行われたもので、原告の身体的負荷が極めて強度のものであったことも明らかである。

(三) 日常の災害出動との相違

本件疾病発症当日に原告が行った甲野の救命活動は、消防隊員の職務としては特別の訓練を積んだ救助隊員が行う職務に対比されるべきものであるが、原告自身は、救助隊員としての資格がなく、これまでにそのような職務を行った経験を有しない。また、一般隊員としての職務さえ、昭和四九年一〇月以降行っていなかった。

そして、日常の災害出動では複数の隊員による集団的対処が行われ、しかも、その中での原告の役割は、他の隊員の指揮監督であって、自ら鎮火活動に従事することはしない。それに対し、甲野の救助活動は、原告が終始単独ですべてのことに対処しなければならなかった。また、日常の災害出動では、火災、水害等その類型に応じて一定の対処の手順が決まっているのに対し、甲野の自殺未遂は全く予期しない出来事であり、対処の仕方も一定の手順に従っておればすむというものではなかった。それだけに精神的緊張も身体的負荷も日常の災害出動の数倍に及ぶものであった。

(被告の主張)

本件疾病は、公務に起因するものではない。

(一) 公務起因性が認められるには、災害補償制度が無過失責任制度であり、補償給付のための基金が税金を原資とする地方公共団体の負担金で賄われることにかんがみると、地方公務員災害補償法による補償請求権が発生するには、公務と死亡との間に相当因果関係が存在することを要すると解すべきである。そして、公務がその死亡の相対的に有力な原因と認められる場合に限り、相当因果関係の存在を肯定すべきである。

(二) いわゆる脳・心臓疾患の公務上外の認定に関して、地方公務員災害補償基金理事長は、平成七年三月三一日付けで「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の公務上災害の認定について(通知)」を発し、従来の認定基準を改訂した。右理事長通知によると、公務上の災害と認定するためには、① 発症前に、a業務に関連してその発生状態を時間的、場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと、若しくは、b通常の日常の業務に比較して特に質的若しくは量的に過重な業務に従事したこと、② ①の事象が原因となって、医学経験則上、心・血管疾患及び脳血管疾病等の発症の基礎となる病態(血管病変等)を加齢、一般生活等によるいわゆる自然的経過を超えて急激に著しく増悪させて発症させたこと、③ ①が当該疾患の発症原因とするに足りる強度の精神的又は肉体的負荷であること、が必要である。

(三) 本件疾病と公務との因果関係についてみるに、原告は、発症当日、部下の自殺未遂に関する救助行動をとったとのことであるが、このような救助活動自体は、消防職員である原告が公務として行ってきた業務と同様の行動であり、原告にとって異常な出来事とはいえないし、原告の基礎的病態を急激に悪化させるような過激な精神的・肉体的負荷があったともいえない。

(四) また、原告の脳梗塞の種類は、左内包部に発症した小梗塞で、脳内の主幹動脈からほぼ垂直に枝別れし脳深部、脳幹を灌流する穿通枝と呼ばれる細動脈(穿通動脈)が血栓性の原因で閉塞した結果発症したもので、ラクナ梗塞(又は血栓性穿通枝系の脳梗塞症)であるが、このラクナ梗塞の危険因子は、高血圧と加齢が最大のものといわれている。

原告の場合、高血圧の既往症が極めて若年期からあり、発症まで長期間にわたり血圧のコントロール状態がよくなく、また、血管の加齢的変化を促進するとされる糖尿病の既往症も有しており、本件疾病発症当時、既に無症候性脳梗塞を発症合併していた可能性は極めて高く、右の危険因子の状態からみて、本件ラクナ梗塞を自然発症する可能性は高かったものである。

三  証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第三  争点に対する判断

一  昭和六一年二月二四日の原告の行動について

争いのない事実に、証拠(甲六ないし八、一三、一五、乙一の1・2、三二、三五、四二、四三、五二、証人境欣民、原告)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  右同日、原告は、朝八時ころ自宅を出て、主治医である岡本清子医師の診察を受けた後、午前八時四〇分ころに西署に出勤した。そして、前日の出来事について申し送りを受け、同九時一〇分ころから二五分ころまでの間、分隊長、分隊長代理を事務室に集め、事務の伝達及び指示を与えた。

2  その後、午前九時三〇分ころより、会議室において、原告が議長となって魚井署長ら幹部参加のもと定例の幹部会議が開催された。その会議の最中の午前一〇時五分ころ、原告に電話がかかっている旨のマイク放送があったので、原告が電話口に出てみると、電話は当日休んでいた甲野からのものであった。

甲野は、酒や賭け事が原因で多額の借金を負っており、前々から問題のある職員であった。原告は、甲野が昭和五九年に西署に配属された際、消防本部次長の松田良雄から、甲野の問題性を解消して消防署員としてふさわしい人物に育成するために、公私にわたり特に指導助言を行うように指示されていた。原告は、この指示に従い、甲野本人だけではなくその家族についても公私にわたり種々面倒をみてきており、甲野は原告にとって単なる一部下という存在を超える特別な関係の人物であった。

原告が受話器を取ると、甲野は、電話口で泣きながら、「薬を飲んだ」と言うのみで、原告が「どこにいるのか、家の者も一緒か」と聞いても応答はなく、数秒後には一方的に電話が切れてしまった。

3  甲野のこれまでの行動を知っている原告は、電話での様子から、甲野が自殺を図ったと直感し、これまでに公私にわたり面倒をみてきた甲野が死んでしまうと考えた途端、驚きのあまり一瞬目の前が真っ暗になるような感じになった。

原告は、気を取り直して、右電話の内容を魚井署長に報告し、同署長から「現場を確認しに行くように」との指示を受け、同署長の了解を得て、司令車を運転して、午前一〇時一〇分ころ、西署を出発した。

4  午前一〇時三〇分ころ、甲野の自宅のある吹田市青山台の公団住宅に到着した原告は、甲野の自宅前に司令車を停車すると、甲野の自殺騒ぎが近所の人に知られるおそれがあると考え、甲野の自宅から約一六〇メートル離れたC六三棟の南西に司令車を停め、甲野の自宅のあるC六一棟まで全力疾走で行き、さらに四階の甲野の部屋まで階段を駆け上がった。

甲野の部屋に入ると、甲野は六畳の間の座卓の前でパジャマ姿で泣いていた。原告は、すぐに「何を飲んだのか」と甲野に問い質したが、甲野は、泣くばかりで何も答えようとはしなかった。そこで、原告は、薬物の確認をするため、部屋の中を探したところ、近くの屑籠の中に、カプセル薬を取り出した後の殻が約四〇個あるのを見つけた。

原告は、甲野をすぐに病院へ連れて行く必要があると考え、甲野に対し、強い口調で病院に行くように命じたが、甲野は、「ここで死なせてほしい」などと言って泣くだけであった。そこで、原告は、甲野の襟首をつかみ隣の部屋に引きずって行き、そこで甲野を立たせ、再度甲野に病院に行くように命じるとともに、甲野を病院に運ぶ車を準備するため、急いで階段を駆け降り、駐車していた司令車のところまで約一六〇メートルを全力疾走で行き、同車を運転してC六一棟の階段の横に付け、再び階段を駆け上がって四階の甲野の部屋まで戻った。そして、原告は、甲野の右手をつかんで原告の首にかけさせ、左手で甲野のズボンのベルト部分をつかみ、抱きかかえるようにして階段を下り、甲野を車の助手席に座らせて、吹田市民病院に急行した。

5  同病院に到着した原告は、正面玄関に車を停め、甲野を抱きかかえるようにして約六〇メートル歩いて内科の受付に行き、看護婦に事情を説明して医師の診察を受けさせた。

原告は、甲野の自宅で見つけた薬の殻を医師に見せたところ、半分は同病院が出した精神安定剤であることが分かったが、他の薬は分からない様子であった。甲野が診察を受けている間、原告は診察室の外で待っていたが、甲野は「まだ死なない」等と口走っていた。

この間、マイク放送で原告が乗ってきた車を移動するようにとのアナウンスがあったので、原告は、約六〇メートル走って病院玄関前の車のところへ行き、車を病院の駐車場の一番奥に駐車して、再び約三〇〇メートル走って診察室まで戻った。

6  その後、医師が甲野を検査室に連れて行くよう看護婦に命じ、看護婦が原告に受付で車椅子を借りてくるようにと言ったので、原告は、急いで受付まで車椅子を取りに行った。その際、原告は、電話で甲野が飲んだ薬などについて、署長に簡潔に報告した後、車椅子を診察室に運んだ。そし、原告は、甲野を車椅子に乗せて押しながら小走りで検査室に向かった。

検査終了後、今度は甲野をICU室に運ぶことになり、原告は、甲野を抱きかかえるようにしてエレベーターに乗せ、ICU室に連れて行った。

原告は、甲野をベッドに横にさせ、看護婦が血圧測定を行うのを見守っていたが、そのうち甲野や甲野の家族、特に三人の子供のことを考え、いてもたってもいられない気持ちになった。原告は、そのとき急に心臓が高鳴り出し、心臓が飛び出すような感覚に襲われ、耳の後ろの血管がドクドクと脈打つ音が聴き取れるほどで、原告は倒れるのではないかと思った。そこで、原告は、隣室にいた看護婦を呼び、血圧を計ってもらった。看護婦は「高い」と言って再度計り直したが、やはり「高い」と言い、「今動くと倒れるよ」と告げた。

7  原告は、二、三分安静にしていると、とりあえず心臓の高まりがおさまったように思われたので、腕時計を見ると、午後零時三〇分であった。

原告は、午後一時に訓練現場の下見のために担当者と署で待ち合わせていることを思い出し、看護婦に甲野のことを頼むと言い残して同室を出て、エレベーター前まで行ったが、エレベーターがなかなか来そうになかったので、階段を駆け降り、更に駐車場まで約二三〇メートルを走って行った。そして、原告は、車の無線で午後一時の待ち合わせ状況を聞いたところ、署長が代わりに行ったとのことであるので、そのまま帰署することとして車を発進させた。

結局、原告が当日駆け足で走ったり、甲野を抱えたりして移動した距離は、約一二〇〇メートルを下らない。

8  原告は、右病院から西署までどこをどう走ったかは覚えておらず、帰署後昼食をとり、仮眠室で横になって新聞を見ていたが、新聞を持つ手の自由がきかず、何度も新聞が手からすべり落ちるため、病院へ搬送してくれるよう頼んで、救急車で大和病院に運ばれた。

原告は、病院に到着後の記憶は有しておらず、再び記憶が戻ったのは同日午後九時ころであった。

二  主たる争点1(本件疾病の公務遂行性の存否)について

1  前記認定の事実に、証拠(乙八、一〇、一一、二九、原告)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 当時の西署の職員数は六〇名で、警備係が一部と二部に分かれ、二四時間ごとの交替制で勤務することとなっていた。そして、原告は、二部担当の副署長として警備係の一六名を指揮しており、甲野もその一人であった。

(二) 副署長の職務は、消防署の組織に関する規程(乙一〇)によると、「上司の命を受け、所管の事務を掌理し、所属職員を指揮監督する」(五条一項)、「署長に事故があるときはその職務を代理する」(六条本文)とされている。原告は、副署長として主に、職員の人事管理、年間行事予定の企画、立案及びその実施指導、部外団体との折衝及び訓練指導、緊急出動時の指揮監督などの職務を行っていた。

(三) 吹田市消防職員服務規程(乙一一)によると、監督員(自己より上位の職責又は階級にある者)は、それぞれの職責又は階級に従い、部下職員の服務規律の保持並びに服務執行について指導監督をするとともに、部下職員の福利厚生、安全及び衛生に関して適正かつ公正な処置を講じ、職務能率の高揚に部下の健康保持及び行状の適正化等の事項の推進を図らなければならないとされている(二一条)。

2 前記認定の事実によると、原告は、部下である甲野からの自殺をほのめかす電話を受け、甲野の救命活動に従事した後、西署に戻る途中で本件疾病を発症したものということができるところ、右一連の活動は極めて緊急性の強いものであったことが明らかである。

そして、原告は、右電話を受けた後上司である魚井署長に報告し、同署長からの「現場を確認しに行ってくれ」との指示を受けて、司令車を使って甲野の自宅に急行したのであり、右到着後、原告は、甲野が実際に薬を飲んだことを発見したため、当然に必要な対処として甲野を病院へ搬送したのであり、本件救命活動は全体として魚井署長の指示に基づいて行われたものということができる(乙四二によると、同署長も本件救命活動が同署長の職務上の命令によるものであることを認めている。)。

また、前記認定のとおり、原告は、西署の副署長の職にあったが、その職務には部下の人事管理も含まれており、その上、原告は、当時消防本部次長であった松田良雄から指示を受けて、いわゆる問題署員であった甲野の公私にわたる指導を行ってきたのであり、これらの事情をも総合すると、本件救命活動は、公務に含まれるものというべきであり、本件疾病の公務遂行性はこれを肯定することができる。

たしかに、原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和四〇年ころから甲野と知り合いになり、昭和四四年ころから一緒に飲みに行ったり、旅行したり結婚式に招待されたりするような仲であったことが認められるが、本件救命活動は専ら原告と甲野とのこのような私的な関係から行われたものとは言い難いことは前記判示から明らかなところであるから、右の事実をもって前記認定を覆すには至らない。

三  本件疾病の公務起因性の存否について

1  原告の職務内容と健康状態等について

(一) 原告の職務内容及び発症前一週間の行動について

前記認定の事実に、証拠(乙一二、一三、二三、二四、二八、三二、三四ないし三六、四四ないし四九、五二、原告)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和三六年五月一日に吹田市消防本部に採用されたが、昭和四九年一〇月一日から、火災現場で実際に活動する仕事からは離れ、本件当時は前記認定のとおり、職員の人事管理や年間行事予定の企画、立案、その実施指導等デスクワーク中心の仕事であり、緊急時の現場での職務も現場において隊員を指揮監督するのみで、自らが鎮火活動に従事したり、火災現場内に入って救助活動を行ったりすることはなかった。

また、原告は、救助隊員としての資格を有しておらず、今までに災害現場内に入って救助活動を行った経験もなかった。

(2) 西署では、署長が体調を崩して業務の遂行が十分にはなされなかったため、原告は、本来の副署長としての職務のほかに、署長の仕事を代行することもあった。また、同署は、吹田市の他の署に比べて査察対象物が多かったが、昭和六〇年一二月の幹部会議で消防本部から査察率を上げるようにとの指示がなされ、これに基づき、原告は、査察率を上げるため本来の担当職務以外の職務にも従事した。その結果、昭和六一年一二月の同署での平均査察件数は前年と比べて約八〇パーセントも増加することとなった。

(3) 原告の職務は隔日勤務で、原則一週間三九時間一五分の勤務時間であり、一当務は午前九時から翌日の午前九時までで、一当務の勤務時間は原則一三時間であった。したがって一当務中の休憩時間は原則一一時間であり、午後一〇時から午前六時までが仮眠時間とされていた。

しかし、実際には、原告は、副署長として決裁文書が多く、仮眠時間中も書類の決裁をすることがあり、また、非番の日も決裁や消防訓練の準備などに追われることがあった。

(4) 昭和六一年二月一八日、原告は、衛生管理者試験を受けるため、午前六時三〇分ころ自宅を出て、兵庫県加古川市の試験場に向かったが、加古川駅からバスに乗ろうとしたところ、当日は雪でバスが運行していなかったため、試験開始時刻(午前一〇時)を気にしながら、雪の中を試験場まで全力で走った。午後四時過ぎころ試験が終了し、吹田駅に戻った後、雨でずぶ濡れになりながら、単車に乗って午後六時三〇分ころ西署に帰った。原告は、寒気がしてふるえがおさまらなかったが、それでも書類の決裁などをして午後一〇時三〇分ころから仮眠した。

翌一九日は非番の日であったが、書類の決裁のため午前一一時三〇分ころまで仕事をして退庁した。

翌二〇日は週休日であり、かつ体調はすぐれなかったが、二五、二六日実施予定の消防訓練の説明図を作成したり、消防訓練を予定している施設との交渉などを行い、夜遅くまで仕事をした。

翌二一日も週休日であったが、訓練の行事予定、訓練の図面や要領等の作成、二四日開催予定の幹部会議の議事録等を作成した。

翌二二日は当務日で、午前七時五〇分に家を出て、午前八時四〇分に西署に到着し、書類の決裁や訓練打合せのための外出等通常の業務を行った。

翌二三日は非番日であったが、書類の決裁のため午前一一時三〇分ころまで勤務した。

なお、この間の原告の体調は一八日の受験の際、雪の中を走ったり、雨の中を単車に乗ったりしたため、風邪を引き、最悪の状態であった。

(二) 原告の健康状態について

証拠(甲四、乙二、三、七、原告)及び弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和一六年八月六日生であるが、吹田市原町の岡本医院(岡本清子医師)において、昭和五三年七月二六日から糖尿病及び慢性肝炎の、また、昭和五七年五月二四日から高血圧症の各治療を受け、本件当時まで定期的に同医院で治療を継続していた。

定期健康診断での原告の血圧は、昭和五七年五月二一日が最高一七〇、最低一〇〇、昭和五八年五月二〇日が最高一六八、最低一一〇、昭和五九年五月二三日が最高一五三、最低一一四、昭和六〇年六月二五日が最高一六八、最低一一八であり、同医院では食餌療法と降圧剤の投与等の治療を続けてきた。

また、慢性肝炎については、できるだけ安静にすることや食餌療法の指示がなされるとともに、肝庇護剤の投与がなされた。

さらに、糖尿病においても、禁酒や食餌療法の指示がなされていたが、原告は、右指示に従い禁酒を続けていた。なお、原告には糖尿病性網膜症の症状もみられた。

2  地方公務員災害補償法二六条一項にいう「職員が公務上疾病にかかった場合」とは、職員が公務に起因して疾病にかかった場合をいい、公務と疾病との間に相当因果関係が認められなければならない。

そして、右因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る程度の高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りるというべきである(最高裁昭和四八年オ第五一七号、同五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁)。

3  本件疾病と公務との関係についての医師の意見について

(一)(1) 松本昌泰医師は、松本意見書において、概ね次のような意見を述べ、同旨の証言をする。

ア 本件疾病の病型は、発症の時間経過(緩徐に段階的に進行する右片麻痺であること)、脳梗塞病変のサイズと位置(X線CT上、左内包部の小梗塞を認めている)、危険因子(高血圧、糖尿病などの存在)などから判断して、ラクナ梗塞症(又は血栓性の穿通枝系脳梗塞症)である。

イ ラクナ梗塞症の危険因子としては、高血圧と加齢が最大のものとされており、原告は若年期から高血圧の長い罹病期間を有し、また加齢性変化を促進するとされる糖尿病の存在により脳内細動脈硬化の進行がより速まったものと想定され、ラクナ梗塞発症の危険性は高い状態にあったものと思われる。

ウ 原告の業務内容は、特に脳梗塞発症の準備状態を形成するものとは考えられないが、発症直前の行動に関しては、部下の自殺行為という高度の心理的ストレス下で緊張状態が長時間持続しており、また、この部下の救助活動での全力疾走その他の身体的ストレスからも、血中カテコラミンの上昇による血小板の凝集、水分補給などが不十分な場合には脱水状態などが同時に発生することがあり得るため、発症直前の行動がラクナ梗塞発症の引き金となった可能性は否定できない。

エ 仮に発症直前の行動がなくとも危険因子の状態から判断してラクナ梗塞を自然発症する可能性は高い。

オ 原告の発症直前の行動が、脳梗塞発症の自然的経過を超えて著しく早めたという医学的証拠は見当たらない。

(2) 右意見書は、「既往歴に見られるごとく市立吹田市民病院の右上肢脱力や岡本病院での眩暈症については、軽症の脳梗塞の発症か脳梗塞発症に先立つ一過性脳虚血発作の発症であった可能性を否定できず」としているが、証拠(甲一八、一九、二〇、二一の各1・2及び弁論の全趣旨)によると、右の症状は、原告が昭和五九年一〇月一一日に大阪市内で交通事故に遭い、右肩打撲、頸椎捻挫の傷害を負った際の症状であったことが認められるのであり、これを原告の脳梗塞の進展の証左とする右意見書はその前提を異にし、相当でないものということができる。

(二) 原告の主治医である岡本清子医師は、次のように述べている(甲四)。

(1) 本件疾病発症当日原告を診察した際、日常業務に支障を来す徴候は認められず、症状は安定していたのであり、急激に著しく増悪する徴候は認められなかった。

(2) 脳梗塞発症直前に対応した部下の自殺未遂事件による精神的緊張、肉体的負担が糖尿病、高血圧症の急増悪を来し、これが脳梗塞発症を早めた可能性は高いものと思われる。

(3) このような異常状態が起こらなかった場合、原告の細心な注意、努力による日常生活の実行により、脳梗塞発症が早められなかった可能性は充分にあると思う。

(三) 星ケ丘厚生年金病院の川合寛道医師は、次のように述べている(甲二)。

(1) 糖尿病及び高血圧症が種々のストレスにより増悪したことは充分に考え得る。

(2) 部下の自殺未遂事件によるストレスが糖尿病、高血圧症の増悪をもたらしたことは充分に考えられ、これにより脳梗塞の発症を早めた可能性は高いものと思われる。

(3) 元来糖尿病と高血圧という脳梗塞の危険因子となる疾病があったことを考えると、職務上のストレスや部下の自殺未遂事件がなかったとしても、脳梗塞が発症する可能性はなかったとはいえない。しかし、職務上のストレスが増悪因子として働いた可能性もまた否定できない。

4 前記認定の事実と右の医学的見解を基に本件疾病と公務(甲野の救助活動)との相当因果関係の有無について判断する。

(一)  前記認定の本件疾病発症当日の原告の行動、とりわけ本件公務が原告の部下であって日頃から特に公私にわたり面倒をみてきた甲野から、自殺をほのめかす電話がかかってきたという極めて異常な出来事に端を発し、甲野の自宅に駆けつけた後、甲野を説得して病院へ連れて行き、診察を受けさせ、西署への帰途につくまでの約三時間弱の間、原告は、甲野の容体を心配し、極めて強度の精神的緊張を持続させていたことは容易に認め得るところである。

その上、原告がその間全力疾走や駆け足、甲野を抱えるなどして移動した距離は約一二〇〇メートルを下らないのであり、その間適宜水分を補給した事実も認められないことなどをも考慮すると、原告は、強度の身体的負荷を負ったものということができる。

そして、原告は、消防署に勤務していたとはいえ、今までに災害現場での救助活動の経験はなく、本件当時の主たる職務は副署長として人事管理や業務計画の立案等といったいわばデスクワークが中心であったことに照らすと、本件発症当日の職務が精神的身体的に過重なものであったということができるのである。

加えて、原告は、本件に先立つ約六日前の昭和六一年二月一八日の衛生管理者試験受験のための往復の行程で風邪を引き、本件当時体調が万全とはいえなかったことも考慮されるべきである。

(二)  確かに、松本意見書にあるように、本件疾病がラクナ梗塞症であるとすると、右疾病発症の危険因子は、高血圧と加齢とが最大のものであることがうかがえるところ、原告は、昭和五七年ころから高血圧の治療を継続してきたが、それにもかかわらず、毎年の定期健康診断での血圧は高い水準を保っていたのである。しかしながら、このような脳梗塞を引き起こす「直接の」原因は医学的に明確ではないところ、原告の主治医である岡本医師によれば、原告の本件疾病発症当日の診察の結果でも、原告の症状が急激に著しく増悪する徴候は認められなかったというのである。

そして、一般にストレスや過労の存在が動脈硬化や動脈硬化性疾病を促進する因子となり得ることも医学上否定されないことをも勘案すると、前記認定のような原告の本件疾病発症当日の極めて精神的身体的負荷の強い行動が、本件疾病発症に大きく影響しているものと認めるのが相当であるから(ちなみに、松本医師(乙五八)も発症直前の行動が血中カテコラミンの上昇による血小板の凝集を来すことがあり得るとして、本件疾病発症直前の行動がラクナ梗塞発症の引き金となった可能性を否定できないとしている。)、本件公務により原告の脳梗塞がその自然的経過を超えて急激に著しく増悪し、本件疾病を発症したものと推認することができる。

したがって、本件公務は、本件疾病発症の相対的に有力な原因に当たるものというべきであり、両者の間には相当因果関係があるものと認めることができる。

第四  結論

以上の次第で、原告の本件疾病が公務によるものでないとした本件処分は違法であり、その取消しを求める本訴請求は理由がある。

(裁判長裁判官松山恒昭 裁判官竹中邦夫 裁判官仙波啓孝)

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